ほらほらコーヒーが冷めちゃってるよ 2

好きな人に伝えたいことはできる限り直接伝えます。都々逸作っています。浦和レッズと演劇と映画と音楽が大好き! 田島亮(・中嶋将人)、成河、亀田佳明、イキウメと浜田信也。演出家・藤田俊太郎を応援しています。小林賢太郎・片桐仁、ラーメンズは永遠に好き。B'z、BrandonBoyd&Incubus、JasonMraz、大橋トリオ、Eddie Redmayne

平さん  

「見事な役者人生、頂点極めた平幹二朗さん」(編集委員 内田洋一さん)http://style.nikkei.com/article/DGXMZO08710730U6A021C1000000?channel=DF280120166618&style=1
「死した平幹二朗さんほど舞台俳優という言葉の似合う人はいなかった。あくなき探究心で階段をのぼりつづけ、2週間前まで主演していた舞台「クレシダ」でその頂点を極めたといえるだろう。見事な役者人生だった。」
「タイプの異なる3人の演出家に磨きあげられた。俳優座養成所で千田是也に「作品を理解し、言葉のニュアンスを大事にする」近代俳優術の基礎を習い、俳優座をやめて劇団四季の団友となってからは浅利慶太に「一音一音を完全に発音する」母音発声法をたたきこまれた。最後に東宝で活躍する蜷川幸雄からは「とにかく爆発しろ」。「順番が良かった。蜷川さんに怒鳴れ、と言われても基礎ができていたから」とは本人の弁。」
「蜷川演出では「王女メディア」に加え「NINAGAWAマクベス」、「近松心中物語」(秋元松代作)、「タンゴ・冬の終わりに」(清水邦夫作)などが名舞台といえる。清水作品の、零落する俳優の青白い狂気はほかの俳優では考えられないほど。70歳を過ぎてからのシェークスピア劇には目を見はるものがあり「リア王」(2008年)のリアでみせた崩壊感覚、「ハムレット」(15年)の王役で敢行した水をかぶる演技(自身の発案だった)は演劇ファンの語りぐさ。生涯現役だった蜷川・平コンビの相次ぐ死は演劇界に大きな喪失感をもたらすものだ。」
「広島で母一人子一人で育った。父が若くして病死、原爆ドーム近くで被爆しながら奇跡的に助かった母に育てられた。原爆症に苦しんだ母が懸命に働き、平幹二朗を支えた。高校演劇をきっかけに飛び込んだ役者の道は食っていくための必死の闘いでもあった。」「集団生活が苦手で、隅でじっとしているタイプ。肺がんを患って舞台をキャンセルしたときも病気を公表せず、事情を知らない蜷川を怒らせた。のちに「なんで言わなかったんだ」と蜷川は手をさしのべ、人生後半の舞台を用意した。切磋琢磨するライバルのようなコンビで、平さんの演技力がなければ、蜷川幸雄の名声もなかっただろう。」
 
平幹二朗さん死去 盟友・蜷川さんに全幅の信頼、初期作品から支える」埼玉新聞 http://saitama-np.co.jp/news/2016/10/25/01.html
「2008年1月、彩の国さいたま芸術劇場で「リア王」上演の際、埼玉県芸術文化振興財団の事業部長渡辺弘さん(63)は、蜷川さんの求めに応じて平さんに出演を依頼するなど、2人の橋渡し役を務めた。渡辺さんは「蜷川さんは若い俳優に厳しかったが、平さんにはほとんど何も言わなかった。全幅の信頼を置いていた」と話す。そんな蜷川さんが公演前日に「もう少しスピーディーに演じてほしい」と平さんにリクエスト。翌日の初演ではテンポアップして引き締まった舞台に一変したという。「蜷川さんが『さすが平さんだ』と満足そうに話していたのが忘れられない」と渡辺さん。「お互い何十年も真剣な闘いを続けてきたので、『あうん』の呼吸で分かり合っていたのでしょう」と振り返った上で「今年9月には『クレシダ』を元気に演じていたのに、『まさか』という気持ち。驚いている」と戸惑いを隠せなかった。]