ほらほらコーヒーが冷めちゃってるよ 2

好きな人に伝えたいことはできる限り直接伝えます。都々逸作っています。浦和レッズと演劇と映画と音楽が大好き! 田島亮(・中嶋将人)、成河、亀田佳明、イキウメと浜田信也。演出家・藤田俊太郎を応援しています。小林賢太郎・片桐仁、ラーメンズは永遠に好き。B'z、BrandonBoyd&Incubus、JasonMraz、大橋トリオ、Eddie Redmayne

「翻訳劇はもう必要ないですか?

 電車の乗り方がわからずパルテノン多摩にたどり着くまでが大変だったけれど(2回もタクシーのお世話に)、すごく面白かった!松岡和子先生の講座にはよくおじゃまするけれど、今回はシェイクスピアも含めて翻訳のお話だったので始めて聞いたお話もいっぱい。2時間の予定が2時間半たっぷり… もっと聞きたいくらい楽しかったです!
 
徳永京子の現代演劇講座 第3回
テ ー マ:「翻訳劇はもう必要ないですか?」
講  師:徳永京子(演劇ジャーナリスト)
ゲ ス ト:松岡和子(翻訳家・演劇評論家
会  場:パルテノン多摩 4階学習室

 
帰りにマッサージして21:40頃帰宅。空きっ腹に食事したからか、ずっと気持ち悪い・・風邪かな?
メモしたので、今日の内容を後で書きたいと思っています。走り書きなので時間が経つと絶対読めないから。
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ほぼ箇条書きみたいになってしまった。なんとなく察してもらえれば・・
 
松岡先生は昔からお芝居と英語が好きだった。大学3年の時のアメリカ人の先生との出会いが大きい(お名前聞き取れず)。1週間に1冊英語の本を読まなければいけなかった(その間、別の本も読まなければいけなかった)。アイルランドの本からはじまり、イギリス〜アメリカの本へ。そこでテネシー・ウィリアムズに出会った。
「劇団雲」旗揚げの演出部募集の試験を受けて(演出部がどういうものか知らずに)「演出」希望で入った女子3人は語学ができたので、「劇団雲」に文芸部ができた。
 
シェイクスピアをやろうと決めて、東大へ。入ったはいいけれど、結婚して子どもが産まれることになったため、編集の仕事をしていた妹さんから英訳を頼まれて、ジョセフ・ラヴさんと出会った。日本語から英語にするという仕事が最初。1作目が気に入られラブさんの仕事のオファーが続き、その後他の方からもオファーが増えていった。
ジョセフ・ラヴ (Joseph Love)http://www.ne.jp/asahi/love/art/ (「夜を泳ぐ」など)
翻訳は、美術評論や小説の翻訳が最初。戯曲の翻訳は劇書房との出会い。腹違いのいとこである額田八重子さんの隠し球として、「クラウドナイン」「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」の翻訳をした。
シェイクスピアから挫折し、シェイクスピアから逃げ続け、テネシー・ウィリアムズの「ガラスの動物園」が好きだったので現代劇の翻訳をやろうと決めたのに結局、「ロズギル」「ドレッサー」「あわれ彼女は娼婦」と、そこにはシェイクスピアが出てきた。ジョン・フォードを訳すためにはシェイクスピアを学ばないといけなかった。
 
ロズギルのお話。最初から稽古場でみんなでディスカッションしながら作っていったので、稽古場に行くのは当たり前だった。翻訳家が稽古場に行くのは松岡先生がさきがけ。
最初にシェイクスピアのオファーが来たのがグローブ座(それまでは小田嶋訳だけだったけれど、新しい風をとりこもうということでオファーされた)演出が外国人なので逆訳が必要。日本語を英語に訳すので、それをチェックする作業であり、いなければいけなかった(「間違いの喜劇」「ドレッサー」など)。岸田さんから「シェイクスピアの代わりにそこにいてほしい」と言われた松岡先生。
小田島雄志・翻訳戯曲賞を受賞された水谷八也さん(「怒りを込めてふり返れ」)小山ゆうなさん(「チック」)も稽古場に通うタイプ。「それは間違いなく翻訳劇の質を高めている」と徳永さん。
 
印刷される翻訳とされない翻訳。小説は必ず出版されるけれど、戯曲はそうではない。最初に劇書房の仕事をしたことがラッキー(必ず書籍にして演劇のプロデュースもするところだったので)
 
シェイクスピアの翻訳。上演が繰り返されるなかで、変えないでほしい言葉はある。
韻文と散文で、要求の多いのは韻文(崩してはいけないアクセントの決まりごとがある)。原文の口の開き方を残す。自由なのは散文で、アドリブを入れてもいい。カタカナ語は喜劇でしか使わない。でも『テンペスト』の「スポーツ」は例外(「運動」だと、他の意味も入ってしまうので)
 
クラウドナイン」30年ぶりに昨年上演するために見直したけれど、ほぼ直しがなかった。自分でやりたいと思ったのは「クラウドナイン」だけ。

(翻訳に正解はなく、演劇にする場合は時代によって言葉も変化するから、おもしろいなぁ。)

興味深かったのは、初期の作品より句読点の「読点が少なくなっている」こと。演者が読点で息をついでしまい勢いが止まるので、蜷川さんがよく言っていた「音上げ」が出来なくなってしまう。「、」がなければ役者さんは勝手に「音上げ」する。ケラさんとイキウメの前川さんも「意識して読点を少なくしている」=翻訳家だけではない。逆に読点が多いのはマームとジプシーの藤田貴大さん。彼は言葉じゃない空気感を大事にしている。(稽古前に台本なくて現場で作っていくって聞いたことあるけれど・・)
縦書きと横書きの空気感。横書きの冷たさ。最近はパソコンで打つから横書きが主流になってきている。松岡先生も徳永さんも校正はパソコンの画面でなく、プリントしてからでないとできない。
(関係ないけれど、私も都々逸は最終的に縦書きにして、これでいいかな〜って考えます)

シェイクスピアを日本語にするなんて意味がない」と言われることがある(ショック・・)。翻訳って何だろう?
2017年のジョン・ケアードの「ハムレット」、原文に近づるために翻訳見直して新たに台本を作ることになった。「to be or not to be」を原文のまま「あるかあらざるか、それが問題だ」としたいと言われたこと。その訳では生も死も入らないので責任を取れないのでクレジットを載せないでもらった。カクシンハン版では「生きてこうあるか消えてなくなるか、それが問題だ」とした。それが正解だとも思っていないけれども。「翻訳は古びれる」→「どんどん新しくなる」
 
「最初に読むシェイクスピアは母国語」 ← シェイクスピア自身も例えばデンマーク王のセリフを英語で書いている!
 
(谷岡健彦さんの劇評に「松岡和子の訳にケアードと今井麻緒子が手を入れた上演台本は言葉遣いが平明なのに、すんなり耳に入ってこない。俳優が咀嚼しきれていないのだろう」とあった。https://www.asahi.com/articles/DA3S12908042.html
 
「memorable」→覚えやすく忘れないセリフにするために音読する。
「カットするセリフを決める」→宗教的なセリフをなくすことが多い。
 
ジョナサン・マンビィ演出の『ロミオ&ジュリエット』のとき翻訳で参加された松岡和子先生に「ジュリエットはどんなご本を読んでいたんですか?」と石原さとみちゃん。何十年もやっていてそういうことを聞いてきたのはさとみちゃんだけだったともちろん戯曲には書いているわけないので、シェイクスピアが書いた当時のイングランドヴェローナ)のカトリックの学校に通っていた女の子であるジュリエットの読みそうなものを推測して教えたら、その場でアマゾンに注文したという秘話に、感動。→ オウイディウスの「変身物語」(岩波文庫