浦和の社長になるのが夢の啓太のこの記事読んでいなかった。読めてよかった。山内さんのことは前にも記事になっているので知っていたけれど、大槻さんのお仕事のことははじめて聞いたわ。
2018年1月26日(金) 2007年 浦和レッズのACL制覇<後編>シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201801230007-spnavi
「スカウティング担当の大槻(毅)さんが、まず対戦相手の分析をしてから、ビデオの編集をしたりレポートを作ったりするんですね。それを僕がドイツ語に翻訳しないといけないわけです。中3日というスケジュールでしたから、大げさでなく地獄のような大変さでした(苦笑)。大槻さんとは夜中の2時や3時に、電話で『これってどういう意味?』みたいな感じでやりとりして、翻訳したものを監督に渡すという日々が続きました。当時、対戦相手の情報はほとんどなかったですから、それは大変でしたよ」そんな裏方の苦労を、当時選手だった鈴木はほとんど知らなかったという。むしろ記憶に残っているのは、シェフとしてアウェーに帯同していた西芳照による料理。「サムライブルーの料理人」として知られる西は、浦和の選手にとっても不可欠な存在であった。「西さんの存在は大きかったと思います。作っていただく料理もそうですが、僕らは西さんがいることで安心して試合に集中できました。もちろん、選手によって味の好みはそれぞれだったと思います。それでも『西さんのおにぎりが食べられる』とか、『西さんのうどんが食べられる』とか、そういう安心感は間違いなくありましたね」