把手の壊れた水道から細く流れつづける水。
静寂の中、蛇口から滴り落ちる水の音だけが聞こえる。
その傍らに、ここを通りすぎていった無数の人々の投棄物の山。
荷物を抱えたさまざまな人々が、この水場を訪れる。
近より、水に触れ、やがてそれぞれの場所へと歩み出して行く―――
撮影:宮川舞子さん
さいたまゴールド・シアター最終公演『水の駅』千秋楽観劇。
15年の集大成。皆さん素晴らしかった。ネクスト・シアターに続きゴールド・シアター解散はとても寂しいけれど、皆さまの年齢的によい時期に素晴らしい演目で幕を下ろせたことはとても良かったと思います。
太田省吾さんの『水の駅』という戯曲を杉原邦生さんの演出で。セリフが一切ないからイマジネーションが刺激される。とても豊か。
言葉に縛られない俳優の肉体が饒舌。表情、表現の豊かさに感動。杉原さんの演出、音楽、素晴らしかった。
白いワンピースの少女の登場からほぼ泣きっぱなし。
カーテンコールで不在の団員さんたちのお写真が… え、こんなに亡くなられたの?と号泣。後で聞いたら、体調やご都合で出演されなかった方のお写真もあったって。ホッとしました。
でも蜷川さんの遺影で号泣。全ての出会いは蜷川さんから。蜷川さんも来て見守っていましたね!
と移動中の電車で感想Tweet。ネクスト(もう解散しているけれどネクストと言っちゃう)のメンバーも多く見守っていた… 彼らとゴールドの皆さまは戦友ですよね。
明日ゆっくり振り返ります。
ここにきて今年一番の傑作に出会ってしまったかもしれない、さいたまゴールド・シアター最終公演『水の駅』(中本千晶さん)
「舞台上にポツンとあるのは、水道だ。傍には、廃棄物の山がある。さまざまな人物が、そこを通り過ぎていく。通りすがりに蛇口をひねって水を飲み、水で足を洗い、さまざまな物を捨て散らかしていく。繰り返し流れるサティの「ジムノペディ」のメロディが、まるでこの作品の主題歌のようで、いつまでも耳に残る。客席下手には、花道が設けられている。登場人物は基本的に、上手奥から登場し、ゆっくりゆっくり歩いて水道に立ち寄り、そして、花道からはけていく。ここを歩き切ることはつまり「生をまっとうする」ことであり、花道は「人生の締めくくり」の場なのだ。そう気付いたとき、最終公演にこの作品が選ばれたこと自体に唸らされた。1981年に初演されたこの作品は、中国生まれの作者の、敗戦による引き上げ体験が根源にあったという。今回の上演では、「人が、生をまっとうしようとする姿」が重ねて描かれているように思えた。」
「後半は一転し、まるで世界といのちの相剋のようだった。穏やかな日常生活を一瞬にして破壊してしまうもの、それは戦争なのか、天変地異なのか。それでも人はたくましく生き続けるのだ。生(性)への執着を感じさせる凄まじい表情を、生々しい肉体を、惜しげもなくさらけ出すゴールド・シアター俳優たちの役者魂。だが、そこに不思議な美しさがある。歪んだ恍惚の美しさ、老いた肉体の美しさ。美しさとは若さにだけあるのではないという、人の奥深さを見せつける。それは、生の祝祭劇だった。生を全うするということは、かけがえのないことなのだ」