マームとジプシー『Light house』
いつもフラットに使っているLUMINE 0なのでどう使うのかな?と思ったらシアターイーストのような客席を作っていました。舞台の奥行きは半分くらいしかないのでセットはギュッと小さくまとめられていました。それは少し残念。開演前に劇場をクラゲが泳いでいた(光の映像)のも正面の下の方にを泳いでいるだけになっていました。
『cocoon』のようにわかりやすいテーマじゃなく沖縄の水問題の歴史って大きなニュースにならないので難しい。
リフレインされる日常が奪われること。水中に残る沖縄戦の遺骨。
私たちは月も世界も片面しか見えていないんだなぁとなる虚しさも残った。
ラストは語ることができなかった人たちの言葉を吐き出したのね。
奥行きのあるもとの場所でいつか再演してほしい。
作・演出:藤田貴大 環境演:小金沢健人
出演:青柳いづみ(みなと) 豊田エリー(つき) 山本直寛(いっぺい) 召田実子 小川恵祐 鳥井由美子 又吉美輪 リマ冴羅
“みなと”と“いっぺい”は姉弟で、“つき”はその従兄弟で、どうやら沖縄に生まれ育ったらしい。他の島で教師として働いている“みなと”が帰ってきて“いっぺい”と“つき”の家に集合し、ご飯を食べている。「あの時」いた“よしみちゃん(おばあちゃん)”。
『Light house』のラストの台詞が変わっていたらしい(*)。ごめんなさい、2月のラストの台詞を覚えていませんでした。弟の“いっぺい”が希望を見つけたと思う終わり方だと思ったのは同じ。直接的でないから「童話」なのか・・ちょっとふんわりしている。2月にシアターイーストで観たときはもっとグサグサきたのになぁ。観客寄りに作ることはないと思うけれど。
2020年2月18日の『Light house』初日★★★★★
(*)インタビューより
「ラストの台詞を語るのは青柳いづみさん演じる“みなと”ですが、沖縄公演と東京公演とでテキストが大きく変わりましたよね。沖縄では「もうすこしで、、、夜が明ける、、、、、、」だったところから、東京公演の初日では「ひかりが、、、ひかりであることに、、、、、、拍手なんて、、、、、、」となって、最終日には「けれども、、、ここまで、、、、、、ひかりは、、、、、、 とどいていた、、、、、、とどいて、、、いる、、、、、、」と変わっていきました。東京公演でのラストの変化というのは、休演せざるを得なくなった期間を挟んで変わったんですよね?
藤田 『Light house』を童話にしたんです。それを書いてるときに、ほとんど自動的に、「ひかりが届いている」って言葉を書いたんですよね。それはちょっと、数日経っても不思議だったんですけど、そう書かないといけない気がしたというか。
藤田 童話ってこどもに読むものでもあるから、たとえ届いていなかったとしても、「届いている」ってことを嘘でも書いておかなきゃいけないっていう、祈りのような気持ちだったんですよね。ひかりが届いているかどうかなんて人それぞれだし、届いてない人もいるかもしれないけど、少なくとも僕には届いているし、だからあえて困難な作品作りをやってみたってことを言っておかなきゃなと思ったんです。それで休演後に役者とも話して、やっぱこういうふうに変えたほうがいいかもねってなったんです。もしかしたらその台詞を聞いて、「藤田君は全然わかってないよ」って言う人がいてもいいんだけど、いたんだとしても、僕にはひかりが届いているってことにしておかないと駄目だと思って、あの台詞を書いたんです。」
「この灯台のイメージ写真の場所は辺野古。”海が海でなくなる場所”マームが投げかけた光と僕が投げかけた光が、どこかへ、誰かへ、と届いたならうれしい。公演は終わったが現実は終わらない。」
メインビジュアルとして初めて関わったマームとジプシー。「Light house」もついに終演とのこと。
— naobumiokamoto (@lifegoesontokyo) 2022年5月1日
この灯台のイメージ写真の場所は辺野古。
”海が海でなくなる場所”
マームが投げかけた光と僕が投げかけた光が、どこかへ、誰かへ、と届いたならうれしい。
公演は終わったが現実は終わらない。 https://t.co/dd86MBGJqX