成河、木村了ら出演の新国立劇場『ピローマン』レポート到着 “物語を語ること”、“物語が存在する意義”が問われ続ける - ぴあエンタメ情報
一部抜粋(Text:黒豆直樹さん)
「カトゥリアンの口から語られる物語は、見る者の心をグッと惹きつける不思議な引力(魔力?)に満ちあふれている。父親に虐待されている少女とリンゴの小人の物語に、監獄に投獄され、さらし者にされた男の話、ある有名な寓話の前日譚、本作のタイトルにもなっている枕でできた“ピローマン”の物語に、他の豚と異なり緑色に輝く体を持つ子豚のお話、自らをキリストの再臨であると信じる少女の物語……。その多くが陰惨なトーンで、暴力的で、子どもが傷ついたり、悲惨な最期を迎えるようなものが多く、聴きながら何とも言えない嫌な気分にさせられるのだが、それでも「それで? どうなるの?」と思わず聴き入ってしまうし、なぜか随所で思わず笑ってしまうコミカルさにもあふれているのだ。
そうさせるのは、マクドナーの戯曲そのものの面白さ、そして自身11年ぶりに本作を演出するにあたって改めて翻訳を見直したという小川の演出力、ワードセンスの素晴らしさはもちろんのこと、なんといっても成河の魅力的な“語り”の力によるところが大きい。」
「他の共演陣も同様。“語る”ことに長けたメンバーが顔をそろえており、本作を上演するにあたって、小川がこの俳優陣に対して絶大な信頼を置いていることがよくわかる。物語を語るのは作家だけではない。カトゥリアン以外の登場人物たちもまた、様々な形で自身の物語を表現する。斉藤と松田が演じる残酷な刑事2人でさえも、驚くほど豊かな物語を口にし、人間の多面性、奥深さを見せつけ(物語が進むにつれて、2人の印象が変化していくところも大きな見どころ!)、大滝寛と那須佐代子はカトゥリアンとミハエルの両親をはじめ、劇中の物語の様々な登場人物たちを巧みに演じ分け、観る者を笑いと恐怖にいざなう。」
「休憩をはさんで約2時間50分、カトゥリアンはほぼ出ずっぱりでしゃべりっぱなし。シリアスとコミカルの硬軟を交え、舞台という装置の力と共演者の協力を得つつも、上記の劇中で語られる多くの物語のほとんどを一人で語る姿は凄まじい。そんな、成河によるカトゥリアンから見えてくるのは、語って、語って、語り尽くし、自らの作品を何としてでも世に残そうとする語り手の強烈な執念。「言論の自由」や「思想の自由」といった公共の権利という次元ではなく、命よりも作品を優先しようとする半ばエゴにも近いような作家の業を感じさせる。」
Text:黒豆直樹さん