芸劇プレイハウス。
席はG列でした。
本日映像収録。
作:野田秀樹 演出:藤田貴大
勝地 涼 飴屋法水 青柳いづみ 山崎ルキノ 川崎ゆり子 伊東茄那 小泉まき 石井亮介 斎藤章子 中島広隆 /宮崎吐夢 山内健司 山中 崇 /松重 豊 (ミュージシャン)青葉市子 Kan Sano 山本達久
【ストーリー】『車にわざとぶつかって、金銭をせしめる「当たり屋」赤木圭一郎は、場外馬券場のある四つ辻でカモを探しているときに、同業の粕羽聖子に出会う。彼女は真実(まこと)の実のかわりに、不実の実を売るという口実で人を呼び出す。それは、子供の時間が取り戻せる白い実だ。』『一転、舞台は中世ニュールンベルグの冬。粕羽正月、六月、八月の3人の少年が妄想のストーブに薪をくべている。火が消えたら、自分たちも消えると信じているからだ。彼らは貴族の馬車に向かって「当たり屋」をしている。』『粕羽聖子は、旧約聖書のアタリヤの一族を例にとって、自分たちは妄想の一族であるという。アルプスからの凧にのって、魔女狩りの季節を逃れるのだと語る。現実には自分の子供を車に当てて金を取ろうとし、死なせてしまった犯罪者である。現代の刑事たちは、彼女を子殺しの罪で追っている。』『圭一郎は狼に育てられたというカスパー・ハウザーの暗殺された日を回想する。そして、妄想の一族はカスパーの一族なのだと少年たちは考える。妄想の一族と現実の一族の戦いが始まる。粕羽聖子は、魔女として十字架にはりつけられる。「アタリアと呼ばれし女、ただひとりの妄想の子供を守らんがため、無数の現実の子供をことごとくほろぼしき…」。少年たちが運ぶ焚木で、彼女は焼かれていく。』http://blog.livedoor.jp/enbublog-forecast/archives/51936954.html
始まる前、舞台上の美術に全部ベールがかかっていたのを見たときマームとジプシーというより野田マップみたいだ・・って少し思いました。途中から出てくる木の枠は『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと━』など最近のマームとジプシーでよく使われる美術という感じ。
最初は面白いかも!と思って観ていたけれど、うーん、途中から退屈しちゃって、ふと見たら(←集中してない証拠)両隣寝てたよ。あの音楽が眠気を誘うのね・・。
プレイハウスでまさかマイクつけて出てくるとは思わなかったわ。勝地くんまでインカム用マイクつけるなんて・・。みんなが言っているようにセリフが聞き取れないひともチラホラいて・・正月・六月とか(マームとジプシーは、今までの舞台も生声だとセリフが聞き取れないひとが多いのよね。聞こえなくていい演出なのかと思うほど)そこがストレス。どこか散漫。
『野田作品の面白さは、夢の遊眠社ならではの情緒的な台詞まわしを武器に、劇宇宙を大きく広げ、そして収斂させていったところにあるが、藤田貴大のカンパニーは言葉が記号的であることで力を持つ。』
そうなのか・・野田さんの言葉遊びがあるセリフ、今日はそこを全然わからなかったけれど、わざとなのかな?
青柳いづみちゃん、昨年から梯子づいているね。
野田秀樹の『小指の思い出』を購入。少し読んだら、やっぱりワクワクするよ、この戯曲。おかしいなぁ・・観たのと同じ戯曲なのになぁ。のげシャーレとかでやったらいいのに。