ほらほらコーヒーが冷めちゃってるよ 2

好きな人に伝えたいことはできる限り直接伝えます。都々逸作っています。浦和レッズと演劇と映画と音楽が大好き! 田島亮(・中嶋将人)、成河、亀田佳明、イキウメと浜田信也。演出家・藤田俊太郎を応援しています。小林賢太郎・片桐仁、ラーメンズは永遠に好き。B'z、BrandonBoyd&Incubus、JasonMraz、大橋トリオ、Eddie Redmayne

『作者を探す六人の登場人物』★★★★ 


KAAT中スタジオへ。入ってすぐ美術に魅了された私。松岡先生のお嬢さま松岡泉さん*の美術、超好きなタイプです。(*『帰郷 -The Homecoming-』『スポケーンの左手』『星ノ数ホド』『TUSK TUSK』『はたらくおとこ』なども松岡泉さん)
 11番だったので通路沿いの俳優さんたちが座る椅子と同じ椅子へ。
ルイジ・ピランデルロノーベル文学賞を受賞していらっしゃる)の戯曲で1921年初演らしい。
劇中劇とも違うメタ演劇?とてもおもしろかったです。好きだなぁ。表と裏。現実と虚構。この家族6人の「登場人物」はピランデルロさんが1921年に生み出されて(この戯曲を書いて)から約100年も作者を探しているのかーーとおも思える。
「現代の実存的不条理演劇の先駆けとなった」舞台らしい。
 
カッコイイていのたまきんぐさんが新鮮。
アマヤドリっぽいオープニングでした。ダンスから始まったから。
 
http://www.kaat.jp/d/sakushawo_s
ものがたり『或る劇団の稽古場に、見捨てられ、行き先を失った「父親」「母親」「継娘」「息子」、そして男女2人の子供という戯曲のなかの6人の登場人物が訪ねてくる。
「私どもは作者を探しております。」父親が言う。
「あたしたち、本当に興味深い登場人物なのよ! ただ生きる場所がないだけなの。」
自分たちは作者に拒絶され、見捨てられ、行き先の無い登場人物で、自分たちの中にあるドラマを完成し、表現してくれる新しい作家を探しているのだという。座長ほか劇団員たちは、初めはその唐突な話に呆れ、取り合おうとしないが、彼らがそれぞれの人生を語るうち、彼らのドラマに魅せられてゆく。』
 
作:ルイージピランデッロ 翻訳:白澤定雄 上演台本・演出:長塚圭史
美術:松岡泉 照明:大石真一郎 音響:徳久礼子 衣裳:山田いずみ ヘアメイク:谷口祐里衣 振付:平原慎太郎 舞台監督:足立充章 技術監督:堀内真人 宣伝美術:ENLIGHTENMENT
出演:山崎一 [父親] 刈民代 [母親] 安藤輪子[継娘] 香取直登 [息子] みのり [男児]  佐野仁香/佐野仁香/藤戸野絵 [女児・ダブルキャスト] 平田敦子 [マダーマ・パーチェ]
玉置孝匡[主演俳優]  碓井菜央 [主演女優] 中嶋野々子 [第二女優] 水島晃太郎 [若手男優] 並川花連 [若手女優] 北川結[プロンプター]  美木マサオ[舞台監督] 岡部たかし[座長]
 森山開次さんたちもいらしてたわ〜。

 
「ずっとやりたくて……ほとんど趣味です(笑)」長塚圭史さんインタビュー http://natalie.mu/stage/pp/sakushawosagasu
「〜、“20世紀初頭の世界の構図と今は似ている”とよくおっしゃっていますが、それには僕も同感です。またピランデッロと時代が被る、サミュエル・ベケット(1906〜89年)やヘンリック・イプセン(1828〜1906年)の作品は、いろんな常識を覆し、劇構築自体をひっくり返していく感じがありますよね。「作者を探す〜」もすごくラジカルで、時代の転換期に合った劇。それと、この作品の時空の越え方や、作ったキャラクターたちが生き物であるという描かれ方に、非常に惹かれます。」
「ダンサーの身体の在り方を活用しようと思っていて、例えば草刈民代さんに“登場人物”の母親役をお願いしたのは、母親役のある絵画的悲劇を打ち出すために、俳優の意識とは違うフィジカルを活用できないかと思ったからなんです。そういったダンサーならではの意識と、俳優としての意識が作用し合うと、何か違うものが生まれるのではないかと。また踊るシーンとしゃべるシーンが分離されているのは面白くないと思うので、その融合がうまくいけばいいなと思っています。」
「いろんなところでシンパシーを感じまくりですが(笑)、作者であるという点では、昔やってもう愛さなくなった作品の登場人物たちが僕のところにやってきて、「やってくれ」ってお願いされるようなことがあったら、もう胸が痛くなるでしょうね、やっぱり愛しい部分がありますから。1つの時間を生きてしまった、そして生きてるような死んでるような不思議なポジションに立脚している彼ら(“登場人物”)には、生き物としての気の毒さはハンパないです。と同時に、俳優って生き物は、舞台上のものはリアルでないとわかっていながら、すごい演技とかにハッと惹かれて、リアルを感じてしまうことがあるんです(笑)。はたから見たらばかげているかもしれないけど、「……ナニッ!?」って惹かれてしまうのが劇場に生きる者の性。非常におかしいです。そういう意味でも、これまで僕が「三好十郎の作品がやりたい」と思って「浮標」をやってきたのと今回では全然違って、ピランデッロの作品ではあるけれど、あまりそれを意識していません。もちろん、この作品に触発されて8月に上演した「プレイヤー」は劇中劇的な形態になったりはしているのだけれど、ミヒャエル・エンデのような世界観は僕が子供の頃から持っていたものだし、少年のような心持ちで非常に愛しく感じていますね。」
 
私の初KAAT(January 21(Fri), 2011)が長塚さんでした。大ホールのこけら落としは『金閣寺』、大スタジオのこけら落としは葛河思潮社の旗揚げ公演『浮標』) http://d.hatena.ne.jp/Magnoliarida/20110121