先週のチケット取ったのに仙台遠征が決まりオケピで嫁がせたら(半額で・・)、遠征がなくなって・・という縁のなさだったけれど・・。千秋楽にやっと観れました。
KAATへ。席は5列(2列目)のセンター。
KAATにて『華氏451度』観劇。ブラッドベリの原作を読んだのは四半世紀前(^^;;。トリュフォーの映画も大好きだったので、舞台化されるのが不安だったけれど、原作から離れることなく期待以上だった。映画ではクラリスにもっとスポットが当たっていたけれど、この舞台では人の感情が失われているモンターグの妻ミルドレッドだった(その二役を美波ちゃんが演じることの意味)
長塚さんの言う「非動物的な孤独」テレビやネットに日常が奪われている今この舞台を上演することに意味があるんだろう。意味のある何役も演じるキャストの配役が素晴らしかった。
意味って書きすぎて気持ち悪い(笑)けれど、原作が書かれた65年前にSFだった世界。今はもうSFではなくなってしまった『華氏451度』の日常。
天上まで届きそうな3方囲みの無機質な本棚。木津潤平さんの美術にお圧倒された。その白い本棚がモンターグの心の変化を見せる美術。本来の本の姿を取り戻していくように色づいていった(映像)白井さんすごい。
ファイアマンである主人公ガイ・モンターグの吉沢悠(ゆう ではなく ひさし になったのはいつ?)吉沢悠くんの後半変化してゆく表情にドキドキした。
モンターグの隣人クラリスとモンターグの妻ミルドレッドの美波、
ファイアマンのブラックとミルドレッドの主婦友ミセス・ボウルズの土井ケイト(むっちゃん)←素晴らしいのよ!!
ファイアマンのベイティー隊長とグレンジャーという対照的な役を演じた吹越満さん、
みなさん、何役も演じていて素晴らしかった。うまく文字にできないくらい大変な役のチェンジが舞台上で。
原作:レイ・ブラッドベリ(65年前)
上演台本:長塚圭史 演出:白井晃 音楽:種子田郷
出演:吉沢悠 美波 堀部圭亮 粟野史浩 土井ケイト 草村礼子 吹越満
舞台美術:木津潤平 照明:大石真一郎 音響:徳久礼子 衣装:伊藤佐智子 ヘアメイク:稲垣亮弐 アクション:渥美博 映像:宮永亮、栗山聡之
「華氏451度――この温度で書物は燃える――。徹底した思想管理体制のもと、書物を読むことが禁じられ、情報は全てテレビやラジオによる画像や音声などの感覚的なものばかりで溢れている近未来。そこでは本の所持が禁止されており、発見された場合はただちに「ファイアマン」と呼ばれる機関が出動して焼却し、所有者は逮捕されることになっていた。そのファイアマンの一人であるモンターグは、当初は模範的な隊員だったが、ある日クラリスという女性と知り合い、彼女との交友を通じて、それまでの自分の所業に疑問を感じ始める。モンターグは仕事の現場から隠れて持ち出した数々の本を読み始め、社会への疑問が高まっていく。そして、彼は追われる身となっていく・・・。」
「原作が書かれた50年代のアメリカの背景に、書籍や新聞などの活字文化からテレビやラジオへのメディアの移行がある。便利な分、情報に流される危機だ。舞台では、同じ言葉が繰り返される広告が流れ、人々は透明な板をスマホのようにタップやスワイプする仕草(しぐさ)で手軽に情報を得る。その板を見入る姿に動きはない。7人の俳優が何役も演じ、早変わりなど舞台裏を見せる演出で、躍動する肉体が強調される分、この動きのなさこそ思考停止で、情報操作に流されやすい現代への警鐘に感じた。焚書を行わなくても、大衆が自発的に読書をやめるという台詞の後に戦闘機の音が響いた。今の世界をディストピアにしてしまうのは、我々なのだと突きつけられた。」(今村麻子さん)
友人も同じ日だったので、終演後におしゃべりしてきた。学生時代によく行っていたお店へ。