ほらほらコーヒーが冷めちゃってるよ 2

【おかえり、亮ちゃん(^O^)】田島亮くんと浦和レッズと演劇と映画と音楽が大好き!! 成河くん、亀田佳明さま、イキウメと浜田信也くん、宮沢氷魚ちゃん、大好きです。 演出家・藤田俊太郎くんを応援しています。小林賢太郎さん・片桐仁さんが大好き。ラーメンズは永遠に好き。BrandonBoyd&Incubus、JasonMraz、B'z、EddieRedmayne、大橋トリオ、kitori、宮本浩次さん。みんな大好き。なにより空が好き。 都々逸やっています。

「いつも心にシェイクスピア」松岡和子先生★★★★★

「いつも心にシェイクスピア

シェイクスピア全戯曲を完訳した松岡和子先生の朝日カルチャーセンターの講座に参加。私はオンラインではなく会場へ。

今日も楽しかった!いつもみたいな作品に焦点を当てた講座と違うアプローチの講座でした。今の和子先生とシェイクスピア、逃げても逃げてもシェイクスピアに何度でも出会う運命だったのですね。英語大好き少女が「消えてしまうことが儚くも美しい演劇」と出会い(学芸会も好きだったと)ターニングポイントにはいつも『夏の夜の夢』があり、生涯の宝となる方々との素晴らしい出会いがあり、どう曲がっても道はシェイクスピアへと繋がり、翻訳家となる運命。和子先生はシェイクスピアが選んだ方なんですね。

今まで参加したトークで聞いたことのあったお話は断片で、今回は28年かけてシェイクスピアを完訳なさった和子先生が、ご自身の過去の日記などを読み直して作成したクロノロジーをお聞かせくださったのです。つくづく出会いって必然なんだなぁと思います。

和子先生が一生の師と仰ぐコールグローブ先生との出会いは大きかったようです。卒業してからも先生のご自宅で毎月勉強会をされ、その後翻訳で躓くたびに先生にご相談されていたようです。

大学二年生、入会しすぐに退会した(クローディアスがデンマークハムレット王(ハムレット王子の父)NO耳に毒を注いで殺したのですが、毒を注ぎ入れる耳が「ears」と複数形なのが気になり両耳に入れたのか先輩たちに聞いたけれどスルーされ、それがショックで退会)

シェイクスピア研究会の先輩からの誘いで『夏の夜の夢』のボトムを演じ(原語で)

大学三年生、劇団雲の旗揚げ公演『夏の夜の夢』を観た後、ご家族の反対が強かったのに劇団雲の入団試験を受けて合格、劇団に入るという選択をした和子先生。

ご結婚してからは出版社にいた妹さんの関係で美術評論の翻訳されていた和子先生ですが、二人目のお子様が生まれて間もなくニューヨークへ!リアンを翻訳するために始めて海外旅行に行った和子先生でした。

1983年、劇書房(翻訳してプロデュースまでする)との出会い。和子先生の義理の従姉・額田やえ子さんに来た翻訳の依頼に(テレビドラマの吹き替えの翻訳でお忙しくて)和子先生を推した!それが笹部博司さんとの出会い!

1983年『クラウド9』翻訳。←和子先生が唯一訳したいと言ったのがこの本。このとき池田満寿夫さんと出会う!

美術本の仕事の関係で有元利夫さんのあるお仕事を引き受け、あまりのギャラの安さに有元さんが驚き「女神たち」という絵を売ってギャラにする手配をしてくださったとかで、そのお金の半分でコンピュータを購入、半分でニューヨークへ行き、そこで朝倉摂さんと出会う和子先生!

https://www.kinokuniya.co.jp/images/goods/ar2/web/imgdata2/large/45681/4568103584.jpg

まだシェイクスピアから離れていますが、1985年に翻訳したトム・ストッパードの『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』はハムレットの、1988年に翻訳した『ドレッサー』はリア王の登場人物のスピンオフなのでシェイクスピアのそれらも翻訳しなければ出来ないのです。

「すべての退場は、どこか違う場所への登場だ」

パルコで上演されたロズギルのときに和子先生が稽古場に行くというベースが出来たようです。演出家のnoteは翻訳をも高めると。

これですね。矢崎滋と角野卓造の「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」 https://ml-geki.com/stage-actor-column/rosencrants-and-guildenstern/

加藤健一事務所の『ドレッサー』のあと1989年に娘さんとイギリスへ旅行し、ジョン・フォードの『夏の夜の夢』と出会う和子先生。

1993年に出版された『すべての季節のシェイクスピア』。栗山民也さんも読んでいらした。

1994年『間違いの喜劇』翻訳。ペーター・ストルマーレ演出。『夏の夜の夢』シアター・コクーンの初代芸術監督串田さんから翻訳の依頼。このころ安野光雅さんとも会っているようです。同じ年にベニサン・ピットで蜷川さんの『夏の夜の夢』を見る。

順番が前後しますが

1971年にピーター・ブルックの『夏の夜の夢』が世界の与えた衝撃は相当だったようです(来日公演は1973年)。今ではその演出が当たり前になっているシーシアスとオーベロン、ヒポリタとティターニアを1人2役にした演出。真っ白ななにもない空間のなかでのサーカスのイメージ。その洗練された演出が凄くてそれ以降RSCでは演出できなかったそう。ジョン・ケアードが『夏の夜の夢』を演出するまでは。

妖精と人間が別じゃない演出・・和子先生は「それまで二つの平面の絵だったものが、パーッと重なって立体になったような驚きを受けた」とジョン・ケアードのパンフレットにコメントしていました。私が大好きになった成河くん(チョウ・ソンハ時代)がパックだった2007年の『夏の夜の夢』です。成河くんがジョンに「僕のパックを見つけた」と言われたというあれです。パックが妖精の耳を取りながら役者に戻っての独白。ふふ。

(私がピーター・ブルックの演出を観たのは演劇にまるで興味がなかった頃、デートで誘われて行った『ザ・マン・フー』が最初で、今も忘れられません。よくぞ私を誘ってくれましたと感謝している)ピーター・ブルックさん96歳で現役です!

また順番が前後しますが

新国立劇場で『夏の夜の夢』を上演、演出家にジョン・ケアードを呼ぼうと決めたのは当時の芸術監督・栗山民也さん。栗山さんは「SUPR」というファッション誌で和子先生が連載していたシェイクスピアのコラムを読んでいて、翻訳の声をかけたようです。「SUPR」に依頼したのは松野誠さん(現・長谷部浩さん)で、長谷部さんが和子先生にはじめて「シェイクスピアを訳すんじゃないの」と言った(予言した)方だそうです。

1989年のシアターコクーンオープンと同時に(Bunkamura開館五周年企画)『夏の夜の夢』を5年間毎年異なる演出家による上演するという企画があり、その5年目が串田和美さんの『夏の夜の夢』その翻訳を和子先生にオファー。

1994年に蜷川さんが演出したT.P.T. の『夏の夜の夢』の稽古をベニサン・ピットで見学(翻訳:小田島雄志)、この時ご自身で訳された『夏の夜の夢』の原稿を蜷川さんに渡した和子先生。蜷川さんはある原稿は全て読むとおっしゃったそうです。

そして蜷川さんの『ハムレット』の翻訳オファーに繋がります。すごいです。

余談ですが、私が蜷川さんが好きになったのは1998年の『身毒丸』なので、まだ演劇と出会っていません(デートで観たピーター・ブルックはカウントせず)

安野光雅さんのお名前がちょくちょく出てきます。安野さんの絵が大好きだった和子先生。妹さんと一緒にお仕事されていた安野さんに画家の有元さんを偲ぶ会で、出版が決まっていた筑摩書房のし表紙をお願いしたら、安野さんは講談社の『繪本 平家物語』の表紙を描いていらして、その次がシェイクスピアだったので、描く条件としてその本のエッセイを頼まれたそうです。断る理由がない!と和子先生。

https://www.chikumashobo.co.jp/series/9784480889287/

www.chikumashobo.co.jp

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 和子先生のクロノロジーの1995年からロベール・ルパージュの『ポリグラフ』が出てきます。講座では触れていませんが好きです『ポリグラフ』・・ 1996年に初演されたのですね。2012年に観て衝撃が走るくらい好きになり2回観て2014年も2回観た舞台『ポリグラフ嘘発見器~』。ムーチョ村松さんの映像にも痺れたーー。

 

   続きます 多分

 

 

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「You will lose, my lord」Horatio

和子先生のお話を聞いて、イングマール・ベイルマンのハムレットと並んで素晴らしかったと絶賛されていた菊池風磨ハムレットを観ることが叶わなかったことが心から残念。観たかった〜(T . T)ジャニーズの若い子では風磨くん好きだし。ジャニーズが主役だとチケット取れません(T . T)
同じ森新太郎さん演出のRomeo and Juliet なんとか観に行きたいな〜当日券にチャレンジしよう!

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https://www.ingmarbergman.se/en/production/hamlet

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