たまには・・今週のお題「わたし○○部でした」
中学は剣道部でした。テニス部に憧れて入ったら玉拾いばかりで・・・つまらないなぁとなり、女子が少ないからすぐに試合に出られそう〜という安易な考えで剣道部に入ったわけです。
すごく楽しかったですーー。毎日朝練もあり練習はきつかったけれど、多分向いていたんだと思う。試合も好きでした。先輩たちも好きでした。お正月の練習の時に食べるお汁粉も好きでした。体育館で必ず隣になるバスケ部の顧問の先生が大好きでした。防具は赤胴でした。剣道着は生成に黒糸で刺繍が入った(今そのデザインは子供用しかないかな?)ものは嫌で無地の生成の無地か紺色、袴も紺色か黒色でした。スラッとした長身の部長(亀田さんという)が紺色の剣道着ですごく素敵だったので1年生のくせに真似したのです。段位は初段止まりでしたが・・・。
あ、小学校の高学年と中学3年間、放送部に。中学は放送室が校長室の次に綺麗だったので、そこでお弁当食べながら好きな曲を流せるという特権に惹かれて。ほんと、昔から不純ですね。
高校には剣道部がなく、警察に通って剣道続ける根性もなく、美術部に。
幽霊部員です。学園祭の前だけ絵を描きに行ったり、焼き物したり・・・気ままな幽霊部員。
短大は社交ダンス部。ええ、ソーシャルダンス部(social dance)でした。ヒラヒラドレスでワルツとかブルースを踊りたくて・・。でも背が低いので(当時157センチ)ルンバとかチャチャチャとかラテンに振り分けられました。それでも楽しかったです。短大は女子校だったのでお相手は慶応の男子生徒(日吉でも練習してました)。
でも、違う大学の人たちとのサークル活動の方が楽しかった。いわゆる遊び部・・お揃いのトレーナーやワッペン作ってテニスと冬はスキー、泊まりがけで合宿していました。
なんか普通です。
美術部幽霊部員でも絵を描くのは好きで、高校生の時に知り合ったイラストレーターさんの事務所でイラストを描いたり色を塗ったりのお手伝いをしていた短大時代。
卒業後、損害保険会社のOLになってからもちょくちょくイラストを描くバイトをしていました。「好きなことしてお金がもらえるなんて〜!!」と勘違いして1年でOLをやめて(推薦で入ったので1年は辞めないようにと学校から言われ・・)デザイン学校に入ったのでした。デザイン会社に就職して収入はOL時代の1年間より激減しましたが、それから今でも同じ仕事を続けているので(過労で入院したことがあっても仕事を嫌いと思ったことがない)良かったんだと思う。
損保を辞める時、両親は親戚から反対されたらしいけれど、「(OL時代に)描いていた絵が冷たい青色ばかりで暗かったから心配していた」と父が言ってくれたのは嬉しかったです。母もOLになってすぐ顔に吹き出物ができていくつもの病院にかかっても治らなかったのを心配してくれていたので・・。あ、会社を辞めて1ヶ月で吹き出物が治ったので精神的な苦痛って体に出るんだなぁと思いました。
朝ドラ「舞いあがれ」の貴司くん、「会社を辞めたい」と弱音を誰かに言えたら良かったのに。あのお母ちゃんならわかってくれたと思う。
【16日追記】デラシネの八木さんには気持ちを伝えられていたみたい。でも、八木さんはいなくなり… デラシネなくなり。
でも貴司くん、五島でばんばに出会えてよかった。吟遊詩人になるらしい…。