ほらほらコーヒーが冷めちゃってるよ 2

好きな人に伝えたいことはできる限り直接伝えます。都々逸作っています。浦和レッズと演劇と映画と音楽が大好き! 田島亮(・中嶋将人)、成河、亀田佳明、イキウメと浜田信也。演出家・藤田俊太郎を応援しています。小林賢太郎・片桐仁、ラーメンズは永遠に好き。B'z、BrandonBoyd&Incubus、JasonMraz、大橋トリオ、Eddie Redmayne

ミハイロ ペトロヴィッチ氏 

浦和レッズの2012シーズンの監督が決定しました。広島の元監督です。
ミハイロ ペトロヴィッチ  MIHAILO PETROVIC
1957年10月18日生まれ(54歳) 国籍:オーストリア
セルビア(旧ユーゴスラビア)の首都ベオグラードの東に位置するロズニツァ出身。現在所属する、FWデスポトビッチと同じ出身地。愛称はミシャ。
ということはランコには朗報!!話通じるからいいかもね。
オフィシャルによると
ユーゴスラビアの名門クラブ、レッドスター・ベオグラードのユースチームで育ち、同国リーグのFKラド・ベオグラードでプロ選手としてのキャリアをスタート。その後ユーゴスラビアのクラブを渡り歩き、1985年、28歳の時にオーストリアのSKシュトルム・グラーツに移籍。その後、1993年まで、8シーズンにわたってこのクラブでプレーし、現役を引退した。
1996年、古巣のSKシュトルム・グラーツでアシスタントコーチ兼アマチュアチーム監督に就任。このとき、トップチームの監督を務めていたのが、元日本代表監督のイビチャ オシム氏だった。そして、1998年までの2年間、オシム監督との師弟関係が続いた。その後、スロベニアのクラブを指導した後、2003年〜2006年には、監督として、シュトルム・グラーツを率いた。
2006年6月、ワールドカップドイツ大会による中断期間に、それまで2勝4分け6敗と苦しんでいたサンフレッチェ広島の監督に就任。その後11勝2分9敗の成績を残し、リーグ戦を10位で終えた。翌2007年は16位でJ2に降格するも、翌2008年、圧倒的な強さでJ2を制してJ1復帰を決め、復帰後の2009年、当時、昇格クラブとしては、過去最高となる4位の好成績を収めた。その後、2010年、2011年は、主力選手の相次ぐ移籍という状況の中でも、確立された自らのスタイルを貫き、2年続けて7位という成績を残した。
2011年11月9日、サンフレッチェ広島から今シーズン限りでの退任が発表されていた。』とのこと。
 
 友だちから・・通訳さんがイケメンだという回覧メールが!!!(モラス雅輝さんを思い出すね!!)
杉浦大輔さん『埼玉県出身の元サッカー選手。現Jリーグ・サンフレッチェ広島通訳兼コーチ。欧州サッカー連盟 (UEFA) 公認B級コーチライセンス取得。現役時代はストッパーやリベロでプレーした。』『通訳ではあるが、サッカー選手としての海外経験があること、コーチングを学んでいることなどから、現役選手の練習試合に十分ついていけるほどサッカーのスキルは高く、就任当初から練習の補充メンバーや選手の相談役などを積極的に務め、実質的にはコーチとして働いていた。2009年にケルン体育大学を中退し正式にコーチ兼任となった。この際ペトロヴィッチ監督から「本当は選手として契約したかったほどだ」とジョーク混じりに賞賛されている。通訳からのコーチ就任は球団初である。』『端正なルックスの持ち主で、女性サポーターからの人気は選手に匹敵するほど高い。2009年には、通訳・コーチとしては異例のファングッズ(フォトタオルマフラー)が発売されている。』(wikipediaより) http://www.sanfrecce.co.jp/player/top/c_sugiura.html