ほらほらコーヒーが冷めちゃってるよ 2

好きな人に伝えたいことはできる限り直接伝えます。都々逸作っています。浦和レッズと演劇と映画と音楽が大好き! 田島亮(・中嶋将人)、成河、亀田佳明、イキウメと浜田信也。演出家・藤田俊太郎を応援しています。小林賢太郎・片桐仁、ラーメンズは永遠に好き。B'z、BrandonBoyd&Incubus、JasonMraz、大橋トリオ、Eddie Redmayne

5月24日の毎日新聞 

特集ワイド「蜷川幸雄さん逝く 晩年に解放されたカリスマ」(藤原章生さん)http://mainichi.jp/articles/20160524/dde/012/200/004000c
アングラ仲間からの孤立感 「見えない壁」の閉塞感 戦後社会への不満
『2007年夏、演出家の蜷川幸雄さんは本当にうれしそうだった。「なんか自由な感じ、自分の世界がどんどん広がる感じがして、毎日とにかく楽しいんですよ」。南米コロンビアのノーベル賞作家、ガルシア・マルケスの小説を舞台化した「エレンディラ」の稽古場でのインタビュー。蜷川さんは「自由」「解放感」という言葉を何度も口にし、はしゃいでいるようにも見えた。今月、80歳で亡くなった蜷川さんが感じた「自由」とは?』『蜷川さんと会ったのは、彩の国さいたま芸術劇場さいたま市)。話は演出方法、マルケスメキシコ映画、映画監督の故今村昌平氏の作品にまで及んだ。」「一服つくと蜷川さんはこう話した。「本当に僕みたいに恵まれて、権力も手中にしていると思われていても、この閉塞感みたいなやり切れなさは何なんだと思いますよ。この不自由な感じ。すごくいらだつでしょ、この国に。でも、この本(「エレンディラ」)を演出しているだけで随分元気がいいみたい」』
 
『この作品の演出以外には自由、楽しさを感じないのだろうか。意外に思った私は同時期に取り組んでいた他の作品について尋ねた。「そんなに楽しくはない。僕はこのマルケスの世界で初めて、もっと広い世界が手に入る感じがある。日本での生活で手に入らないものが。初めて自由に息つける場所まで到達できたって感じがどこかにあるんですよ。俺にとってはそれが新鮮な体験。俺はマルケスの息がふりかかって、自由になりつつあるのかな」』『マルケスで初めて自由を感じたという蜷川さんは、それまでどのような閉塞感を抱いてきたのか。』
『16日、東京・青山葬儀所での告別式。蜷川さんと30年共に仕事をしてきたプロデューサー、渡辺弘さん(63)に聞いた。「気持ちはよくわかりますね。例えば歌舞伎界には家制度などがあり、演出家の指示を聞いてくれない役者もいる。日本にはいろいろ見えない壁があるんです。蜷川さんはとにかく気を使い、いちいち考える人でしたから」。話は時代論へとつながる。「(彼の気持ちを代弁すれば)自分たちが本当に良かったのは1960年代の最後の一瞬。その後、反体制的なムードはどんどんダメになり、70年代以降、自分たちはずっと負け続け。本当にこれでいいのか。あの頃は皆がもっと輝き、思い切り発散できたじゃないか。そう言いたかったのでしょう」』
 
『蜷川さんは04年秋、仕事仲間の作家、井上ひさしさんと共に文化功労者に選ばれた。「皇居に招かれたんですが、蜷川さん、自分は反体制だからって行かなかった。勲章はみんなのためだけど、『思想があるから今さら行くのは恥ずかしい』と。でも、井上さんは行って、『一生に一度しか(天皇陛下を)見られないじゃない。作家として、見たいよね』と言われ、蜷川さんは『ずるいな』って言ってました。そういうかわいいところがありますよね」。』
 
『それにしても蜷川さんは、なぜ「エレンディラ」で解放されたのか。数々の蜷川作品に出演してきた俳優、立石涼子さん(64)は「普段、特に外国ではすごくシャイな男の子みたいなんですが、あの時の蜷川さん、神がかったような、ものすごいエネルギーがありました」。稽古で見せた動き、表情を思い起こす。「『エレンディラ』を通し、人間の土着性というか、遺伝子に確かにあるようなものが、蜷川さんを解放させたんじゃないかって気がします。他の作品と全然スケールが違う大きな物に突き動かされているような。稽古では『本当に豚が飛んだりする。そういうことを信じる力が大事なんだ』と言ってました。私自身も体が1・5倍くらいになった気分で演じられました」』
 
『蜷川さんの晩年について「実際に解放され、広がった気がする」と、金森さんは見ている。「余計なものが排除され、目の前にある演目のことしか考えずそこへの集中力が極まった感じです。15年の新作『リチャード二世』の開幕シーンも、自分が病気で車椅子に乗っているから、多数の出演者を車椅子に乗せて登場させ、いきなりタンゴを踊らせたり。類を見ないハチャメチャな発想は、あらゆるものから自由になったからじゃないでしょうか。自意識過剰の人でしたけど、晩年になると、人が見たらどう思うのかということがなくなり、『美しければ美しい』と、彼の表現、自由さが強くなっていったのかもしれません」』
『最期まで病室に脚本を持ち込んだ蜷川さん。きっと、とてつもなく自由な発想が脳裏を駆け巡っていたに違いない。』
 
エレンディラ」テレビでやってほしいなーーー。