『令嬢ジュリー』と『死の舞踏』の劇評。(堀切克洋さん)
『19世紀末の屋敷や衣装を細やかに再現したリアリズム演出を通じて(松井るみ美術)、牢獄のような環境から必死に逃れようとする人間の苦悩を共通して描く。』
『「死の舞踏」は離別の機会をたえず窺っている熟年夫婦の愛憎劇だが、池田成志を大尉エドガー役に抜擢。妻アリス(神野三鈴)とスピーディーに罵り合う。夫婦喧嘩以上のものをいかに見せるかが鍵だ。上演台本にはコナー・マクファーソンによる翻案(2012年)が採用されている。現代にも通じるブラックコメディーとしての上演が狙いだが、皮肉に満ちあふれたセリフには笑いの要素がもっと欲しい。夫婦という営み自体が一種の三文芝居なのだから。
『「令嬢ジュリー」は、夏至祭の夜、召使いのジャン(城田優)が貴族の娘(小野ゆり子)を誘惑し、追い詰める。純朴で従順な青年が、悪魔のように豹変する城田の演技が見どころ。純白のドレスを着た小野のジュリーは幼く、男性優位の権力構造にあまりにも呆気なく敗北する。貴族と召使いの立場を逆転させるのは、舞台中盤における群衆たちの乱入だ。小川演出では30人のエキストラが起用され、まるで嵐のように舞台を呑み込んでゆく。堕落していくふたりとは対照的に、現実の労苦に耐えている料理番クリスティン(伊勢佳世)が終盤で見せつける冷徹な眼差しの演技も脇役ながら必見だ。』
瀬戸くん、今日観に行ったのね。https://twitter.com/koji_seto0518/status/844515215366471680