ほらほらコーヒーが冷めちゃってるよ 2

好きな人に伝えたいことはできる限り直接伝えます。都々逸作っています。浦和レッズと演劇と映画と音楽が大好き! 田島亮(・中嶋将人)、成河、亀田佳明、イキウメと浜田信也。演出家・藤田俊太郎を応援しています。小林賢太郎・片桐仁、ラーメンズは永遠に好き。B'z、BrandonBoyd&Incubus、JasonMraz、大橋トリオ、Eddie Redmayne

『プレイヤー』の劇評 

夏休みで夕刊を見ていなかったので、会社の「もうすこししたら捨てるBOX」から14日の毎日、15日の読売をピックアップ。
8月14日 毎日新聞夕刊「虚実溶ける不気味さ」(濱田元子さん)
「劇中劇という入れ子構造に、さらに、俳優が劇作家により書かれた言葉を「再生」するという二重写しになる仕掛けが面白い。言葉が多層的に絡み合う一筋縄ではいかない物語を、長塚は稽古場以外のシーンを可動式のブースで視覚的に工夫を凝らして見せる。」
「なぜ真は死んだのか。自説を仲村の時枝にダークなカリスマ性があり、立場を超えて揺れる桜井を藤原が丁寧に見せる。桜井の同僚刑事を演じる高橋努、演出助手の安井順平らが独特の存在感。」
「濃密な空間だとより世界観が生きたように思うが、人類の未来を俯瞰した目線とともに、底知れぬ不気味さを残す。」
  
8月15日 読売新聞夕刊「俳優とは何かを追求」(森重達裕さん)
「14人の群像劇で「俳優(プレイヤー)とは何か」という宿命を追求した。」
「序盤は「稽古中」と「休憩中」の区別がはっきりついていたのに、やがてどこまでが芝居で、どこからがリアルな感情なのか、境目がわからなくなっていく。」
「姿を見せずに劇空間を支配する「神の力」を持った劇作家。一方、自らの役に訪れる運命を知りつつ、与えられたセリフを「再生」する俳優たち。この関係性が劇中劇と作中の現実との入れ子楮から見えてくる。」
「元来、「俳優(わざおぎ)」とは神のために演じる人のことだった。終盤の藤原、仲村、成海らの鬼気迫る演技は「憑依」と言うほかない。役者と役が混然一体となり、背筋がゾクッとする蠱惑的(こわくてき)な舞台となった」
 
そして、今日の朝日新聞夕刊「ネットワーク時代の異界交流」(山本陽一さん)