「このたび、槙野智章(34歳)が契約満了に伴い、今シーズン限りでチームを離れることとなりましたので、お知らせいたします。」とオフィシャルの発表がありました。
「浦和での10年間。僕にとって大きな財産であり、宝物であり、僕の全てです」
2012年に広島から浦和へ移籍して、ACLや天皇杯、浦和のタイトルに大きく貢献してくれた選手。得てして誤解されやすいんだろうと思うけれど、クラブのため、サポーターのため、子どもたちのため、と思ってくれていたと思う。「宝物であり、僕の全てです」は心からの声に聞こえますし、浦和レッズ愛が深かったと私は思っています。日本代表としての責任感も。
勝利したときにサポーターが歌うWe Are Diamonds を選手も一緒に歌うようにしてくれたのも槙野。最初は選手を早く休ませてあげたい気持ちもあったけれど、勝利を選手と共に喜び一つになれて嬉しかったです。
浦和レッズのために精一杯闘ってくれて、チームを盛り上げてくれて、ありがとう。
さっき、iPhoneにおすすめされた写真😊 もういない選手の方が多い…
阿部ちゃんがすぐに槙野のことをTweetしてくれたのも嬉しい。↓
「2012年、浦和レッズに共に加入した仲間!常にポジティブで素晴らしい雰囲気を作ってくれた!チームそして自分自身がどう成長するのかをよく考えていたね!
浦和のために闘ってきた浦和の漢! 槙野智章❗️共に闘えたこと、素晴らしい時間を過ごせたこと感謝しています!
最後まで共に闘おうぜ!」
阿部ちゃーーん、大好きーー。
「今季で契約満了となる槙野は5日にクラブから契約延長の意思がないことを通達されたといい、「時間はたったが、今になっても答えを導き出せない。『まさか自分が』という思いはあった。毎日泣いています。このクラブが好きだから。大好きなクラブでずっといたかった。このクラブで引退したかった」と涙ながらに浦和への深い愛情を示した。」
切ないなぁ…
レッズプレス他の記者の佐藤亮太さん「浦和 阿部勇樹選手の引退会見と同じく槙野智章選手の会見も涙でしたが、主成分に多少違いがあると感じました。阿部選手は感謝の涙とするなら槙野選手は愛ゆえの惜別の悲しさ、悔しさ、戸惑いが混じった涙。「浦和」と口にするだけで、思いがこみあがる、、それだけ深い愛情だったと想像できます。」https://twitter.com/c_moon2013/status/1460905711651540997?s=21
槙野の会見、ほんとうに浦和レッズが大好きで愛していることが伝わってきて、悲しくなるよ。「クラブが求めることは理解は出来なかった」というのがとても気になる。
長文なので一部抜粋「僕がレッズに来た2012年には、2011年の残留争いの結果や様子をクラブ関係者や選手から伝えていただきました。僕が加入してできることは何かと考えたときに、まずはチームの結束を深めることと、チームとファン・サポーターが一体となって戦うこと、プラス、フロントフタッフも同じ方向を向いて戦わなければいけないと思い、まずはそこを整理しました。」
「昔、僕が見ていた浦和レッズの強さや素晴らしい雰囲気をまた作り出したい、自分が入ったときに後押ししていただきたい、タイトルを獲った2006年、2007年以上のものを作り出したいと思い、いろいろな動きを始めました。そのうちの一つとして、試合後に『We Are Diamonds』をみんなで歌うことを提案しました。提案した当初は『よそ者が勝手なことをするな』など、いろいろと言われましたが、これまでレッズを引っ張ってきた先輩方が、『こういうことをやりたかったんだよね』と言ってくれました。『あの時間がすごく好き』と言ってくれるファン・サポーターの方々もいました。なので、続けることができました。」
「みんなが嫌がることを率先してやりました。全てはクラブを強くしたい、一人でも多くの方にスタジアムに来てもらいたい、レッズを好きになってもらいたい、というおもいでいろいろとやってきました。少し勘違いされるような受け取り方をされることもありましたが、そばにいてくれたのはレッズの選手やスタッフ、ファン・サポーターでした。自分が言ったこと、やったこと、行動を起こしたことは僕の財産です」
「契約のことに関しては、チームのことなので全てをここでお話しするのは難しいですが、通達されたときには『まさか自分が』というおもいは正直ありました。11月5日に受けて、今日は11月17日ですが、毎日泣いています」
(泣いているのは、やり残したことがあるからか?それとももっとレッズにいたかったからか?)
「このクラブが好きだからです。これまでの長い歴史の中で、たくさんのレジェンドの方々がいますし、僕はよそから来ましたし、たかが10年かもしれませんが、僕にとってこの10年はすごく濃かったです。大好きなクラブで、ずっといたかったですし、このクラブで引退したかったと思います」
(まだ引退を選ばないと思うが、やり残したことをやるために他のチームでチャレンジするという気持ちなのか?)
「他のクラブで同じような情熱を持って、違うユニフォームを着てプレーする想像は、今はあまりついていません。毎日どうしたらいいのだろうと思っている状況ですが、自分でもどうしていいか分かりません」
(シーズンが終わるまで考えて、オファーが来たら決めるということか?)
「そうですね」
「先日オフがあったときに、興梠選手と2人で昔の映像やゴール集を見たりして、『すごかったね』とか『またみんなでやりたいね』とか『みんないい顔をしているね』とか、そんな話をしながら映像を見ていました。少し時間があったときにレッズから離れた選手も含めて集まる機会がありましたが、『やっぱり浦和レッズって特別だよね』ってレッズから離れていった選手たちもみんな言っています。ここで過ごした10年間はすごく特別です。」
(リカルド ロドリゲス監督とのコミュニケーションも槙野選手が引っ張っていったところが大きいと思うが、通達があった中でリカルド監督とはどういう話をしたのか?)
「リカルド監督がレッズに来た当初から面談を含めてたくさん話をしてきました。今回の件に関してもリカルド監督とたくさん話をしました。通達があった後もたくさん話をしました。スペイン人なのに日本の良さ、日本の文化、日本人の特長を理解している方なので、逆に僕が迷惑をかけてしまったと思います。通達された後の僕の表情や雰囲気を見て、『自分の通達の仕方が悪かったのか?』、『嫌なことを言ってしまったのか?』、『つらいことを言ってしまったのか?」という心配をさせてしまいました。僕は『そんなことないですよ。監督は監督の仕事をしてくれましたし、正直に物事を言ってくれたので感謝しています』と伝えましたが、逆に僕が心配をかけてしまったと思っていますし、日本人の良さを知っている選手おもいの監督だと思います」
(シーズンの前半戦は試合に出続けていて、変わっていく浦和レッズの中で手応えもつかんでいたと思うが、浦和レッズが変わっていかなければいけないということも過去2シーズンの苦しい経験の中で感じていたと思う。変わらないといけないと考えている中で、クラブが契約を更新しないと判断したことをどう受け止めているのか?)
「クラブから通達された理由は、ここで全て話すことは難しいですが、クラブが求めることを理解することはできませんでしたが、それを今後、来年どういうふうに変わっていくかを見てみたいですし、楽しみではあります。クラブが掲げる狙いがあるならば、『俺がいなくてできるのか?』というのが正直な気持ちですが、その狙いとすることに向けて、最後まで一緒にやりたかったというのが本音です」
「いろいろとありましたし、いろいろと言われてきましたが、レッズのファン・サポーターの方がいなければ、僕のこの10年間の成長はなかったと思います。数々のタイトルを含めた分岐点もそうですし、ワールドカップ出場に向けた意味でも成長させてもらいました。何よりもあの『We are REDS!』のコールや、『歌え浦和を愛するなら』という歌がありますが、スタンドが揺れるあの景色、ピッチから見るファン・サポーターの方が作り出す雰囲気は、今でも忘れられません。実力以上の引き出してくれる仲間がいたことは、僕にとっては心強かったです。入団したころのイメージよりも、10年経った今は強い絆で結ばれていると思っています」