ほらほらコーヒーが冷めちゃってるよ 2

好きな人に伝えたいことはできる限り直接伝えます。都々逸作っています。浦和レッズと演劇と映画と音楽が大好き! 田島亮(・中嶋将人)、成河、亀田佳明、イキウメと浜田信也。演出家・藤田俊太郎を応援しています。小林賢太郎・片桐仁、ラーメンズは永遠に好き。B'z、BrandonBoyd&Incubus、JasonMraz、大橋トリオ、Eddie Redmayne

『春琴 Shun-kin』再再再演 2回目★★★★★ 


頬の筋肉の動きや細かな息遣いまで聞こえる2列目にて。この芝居の流れが一瞬たりとも止まることのないのは、次、その次への準備が、こんなにもさらりと演者たちによりされているんだということにも圧倒される。
 
とにかく観てほしい。なんとかして観てほしいです。
私の大好きなひとたちはもう観たか、これから観ると思いますが、みなさんも!なんならシンガポールで!
 
春琴と佐助の愛の形。ふたりは幸せだったと思う。孤独を理解しあっていたから。火傷を負わされ傷の残った顔を「佐助だけには見られたくない」と言った春琴。晩年、ぴたりと身を寄せヒバリを空に遊ばせるふたりのふたりだけの世界の・・なんて豊かな世界!
春琴から嗜虐的行為を受けるときの若いころの佐助の・・あの嬉しそうな顔ったらもう! ソンハ@ヒバリも絶好調で鳴いています。そんなところも観てね。(ちなみに火傷を負わせちゃう嫉妬男の利太郎を演じているのも成河くんです。途中谷崎先生に交代しますが。←説明できない!)
 
      明日書きます。 そのつもりです。 ←やっぱりむりっぽいので千秋楽観たらにします。 
 
これから初めて観に行かれるかたは、間に合うのなら谷崎潤一郎の『陰影礼賛(いんえいらいさん)』をざっとでも読んでおかれるといいと思います。→ http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/raisan.htm
例えば、「〇小説家の空想」
「そう云うことを考えるのは小説家の空想であって、もはや今日になってしまった以上、もう一度逆戻りをしてやり直す訳に行かないことは分りきっている。」
「〇昔の女」
「知っての通り文楽の芝居では、女の人形は顔と手の先だけしかない。胴や足の先は裾の長い衣裳の裡に包まれているので、人形使いが自分達の手を内部に入れて動きを示せば足りるのであるが、私はこれが最も実際に近いのであって、昔の女と云うものは襟から上と袖口から先だけの存在であり、他は悉く闇に隠れていたものだと思う。当時にあっては、中流階級以上の女はめったに外出することもなく、しても乗物の奥深く潜んで街頭に姿を曝さないようにしていたとすれば、大概はあの暗い家屋敷の一と間に垂れ龍めて、昼も夜も、たゞ闇の中に五体を埋めつゝその顔だけで存在を示していたと云える。されば衣裳なども、男の方が現代に比べて派手な割合に、女の方はそれほどでない。舊幕時代の町家の娘や女房のものなどは驚くほど地味であるが、それは要するに、衣裳と云うものは闇の一部分、闇と顔とのつながりに過ぎなかったからである。鉄漿(おはぐろ)などと云う化粧法が行われたのも、その目的を考えると、顔以外の空隙へ悉く闇を詰めてしまおうとして、口腔へまで暗黒を啣ませたのではないであろうか。」
〇紙 〇日本座敷 〇暗がりの中にある金色の光 〇能舞台の暗さ
サイモンが描きたかった世界が手に取るようにわかります。先に『陰影礼賛』ありきだったそう・・。
 
「昔の女」の文章が語られるときの舞台の演出もおもしろかった。ナレーター(立石さん)の後ろで美しい色彩の着物だけを4人が小走りで回していく、その着物に投影される女性の顔。まさしく「昔の女と云うものは襟から上と袖口から先だけの存在」でした。最初のほうで春琴の容姿を語る谷崎の後ろで2人の黒子(ひとりは成河くん)の手で回されるたった4枚の白い紙に投影されたのは、1枚しか残っていないという春琴の美しい顔(深っちゃん)、その白い紙はヒバリとなりひらひらと空へ消えていきました。
 
前にも載せましたがシンガポール公演(Esplanade Theatre)のサイトに画像と映像が(*初演の写真かも)。http://www.3titansoftheatre.com/?page_id=1834
 
次はとうとう私のラスト春琴、千秋楽です。